2023年8月25日金曜日

先々の先 考察1

打太刀、仕太刀共に先の気位で問に進むから一つの先があり、間に接するや、打太刀が面を打つから一つの先がある。

そして、仕 太 刀はこの二つの先を予知して、抜いて先で勝つから一つ先がある。

以上、先を数えると三つになるから先の先というのである。



上記が日本剣道形における先々の先の説明である。

ふと思う事は、太刀落としは精神的な先からの先であり、雷打ちは物理的な先からの先。

わざと隙を作り相手の攻撃を誘いその初動に対する「読みと反射」、言い換えると仕掛け技なのか応じ技なのか・・・なんか違うな。



五輪の書は三つの先の説明の後にこうしている。

この先の仔細様々あるといえども、その時の理を先とし、敵の心を見、我兵法の智恵を以て勝つことなれば、こまやかに書くことにあらず。

その細かいところが知りたいんだけどさ・・・武蔵さんよ。

2023年8月17日木曜日

杖道は形稽古

 杖(仕杖)と太刀(打太刀)とが相組み、必ず仕杖が打太刀を制する形の稽古です。

「実際に打ち合うのではないから」「形(かたち)だけを覚えれば良いから簡単」「実戦では役に立たない」なんて揶揄される。

でも剣道の高野佐三郎範士が説いた、形精神は、打つ部位は一応の約束ごとであって、剣道形を実施する時の心得や技遣いの本意は「どこからでもこい」「どこに来ても応ずる」という千変万化の応用にある。に相通じると思います。



それはジャズでいうところの「インタープレイ」と同じ。

複数のプレーヤーが、互いに感覚・感性やイマジネーションを刺激し合い、刻々と変化するその瞬間において「競合、共鳴、調和もしくは反発」を繰り返しながら「一瞬のサウンド」を、瞬間的に「煌めき」にする事と。

それには、互いに意識して繰り返すこことで、再現性を高める状態を日々大切にしているからではないのか?



先日の試合で、乱れ留で太刀を打ち落とした。

すかさず打太刀は目線を離さずに太刀を拾い、正面に切り付けてきた。

流石だと思った。

2023年8月10日木曜日

暑中稽古

寒さ暑さに対して逃避するのでなく

かえって積極的に行うことによって寒暑二つに安住するという思想は

禅語の〈寒は寒殺,暑は熱殺〉に通じるものがある・・・なんてのはおいといて



あれは昨年の盆前だった

袋竹刀で剣術の稽古をしている時に小手を打たれた

いや寸止めだったがスパッと手首を切り落とされたと思った



稽古が終わり月あかりだけの道場を振り返ると

私の手首がゴロゴロ落ちている錯覚に陥った

そしてその日の汗は冷たかった


2023年8月3日木曜日

稽古で少々

 

「稽」は「考える」という意味の漢字です。

つまり稽古という漢字は本来「古(いにしえ)」を考える。

・・・という意味だと色々なサイトで説明されています。



基本的に毎週月曜以外は、金曜日に誠道館道場で古流と併伝武術を。

月一の久留米へ月例稽古会参加を行っています。

まぁ〜あとは自主稽古ですね。



私は最初の頃は、近くの公園で夜の10時過ぎまでしていたら、パトカーが来ましてあれこれあり。

夕方に時間変更したら「杖道の稽古は禁止」と看板が立ったので、古流の稽古しかできなくなった。

なんて半分本当のような嘘のようなハナシ。






稽古の眼・目・め

細部に目を向ける「虫の目」 全体を俯瞰してみる「鳥の目」 術の生い立ちや先人たちの思想を知るための「歴史の目」 ほかにも「他者の目」などありますが 「後の先」で始まる杖術には 武蔵が説いた「観見二眼」の考え方も欠かせないのではないか 相手と合わせるその瞬間の意図や気配を見て捉える...